新宿小田急近辺の記憶
デパートビルが再開発で、一時閉鎖というニュースがありました。
あの辺は、通称「しょん〇〇横丁」に通じる雑多な昭和の雰囲気を残した一角でもありました。
飲み屋も多く、会社の先輩に連れられて入った店に驚きました。
ガラッと木の引き戸を開けると、いきなり客の背が現れ、座っていました。
関西ではこうした店があるように聞きましたが、私はギョッとしました。
いきなり席とは、なんと大胆な店かと、驚きの次に大変面白く感じました。
その連れの人は、飲み屋のハシゴガ趣味のような人で、ガラッと戸を開けただけで、すぐに帰ったか、席が満員で帰ったか、とにかくその店で飲んだ記憶はありません。
しかし、いきなり客の背で、席だった驚きは強烈で、今でも鮮明に覚えています。
(アーカイブス)
2018/11/18(日)
駄菓子の思い出
家は思えば、それほど躾が厳しいとは思いませんでしたが、駄菓子は禁止されていました。
だから、陰でこそこそとたまに買って食べていました。
駄菓子の中では、一番好きだったのが、赤い着色料付のスモモでした。
どうしてあんなに好きだったのか分かりません。
今食べても決しておいしいと感じないでしょう。
子供の味覚としてスモモが一番おいしかったということでしょう。
だいじ経営年金事務所http://daizizimusyo.jp
あの辺は、通称「しょん〇〇横丁」に通じる雑多な昭和の雰囲気を残した一角でもありました。
飲み屋も多く、会社の先輩に連れられて入った店に驚きました。
ガラッと木の引き戸を開けると、いきなり客の背が現れ、座っていました。
関西ではこうした店があるように聞きましたが、私はギョッとしました。
いきなり席とは、なんと大胆な店かと、驚きの次に大変面白く感じました。
その連れの人は、飲み屋のハシゴガ趣味のような人で、ガラッと戸を開けただけで、すぐに帰ったか、席が満員で帰ったか、とにかくその店で飲んだ記憶はありません。
しかし、いきなり客の背で、席だった驚きは強烈で、今でも鮮明に覚えています。
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2018/11/18(日)
駄菓子の思い出
家は思えば、それほど躾が厳しいとは思いませんでしたが、駄菓子は禁止されていました。
だから、陰でこそこそとたまに買って食べていました。
駄菓子の中では、一番好きだったのが、赤い着色料付のスモモでした。
どうしてあんなに好きだったのか分かりません。
今食べても決しておいしいと感じないでしょう。
子供の味覚としてスモモが一番おいしかったということでしょう。
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