人を殺してなぜ悪いのか
若い世代の無差別、不条理殺人が世を騒然とさせた頃から言われ始めた言葉です。
はじめこの言葉が言われた時、当たり前に悪いから理屈ではない、何を馬鹿なことを言うのかと思いました。
しかし、今になって、この言葉は深い気がして仕方ありません。
というのは、人を殺して、平気で生き延びている、大人が現実にいるということです。
それなのに、自分が人を殺して何が悪いのか。許される人間と許されない人間がいるのはおかしいのではないか。
という意味で発せられた言葉ではないか、という気がしているからです。
こうなると、ただ悪い、当たり前で理屈ではない、というのが逃げの口上に思えてきます。
警察、司法で裁かれる網を潜り抜けて、平然としている奴がいる。
敏感な、頭が良すぎる人間にとっては、やり場のない怒りがこみあげているのでは。
その結果の問いだとしたら、誠に深い、スルーしてはいけない問題で、真剣に大人には対処してもらいたい。
(アーカイブス)
2018/09/30(日)
イグノーベル賞ではないのではないか
日本人医師の大腸検査の新しい方法は、真面目に有用な方法で、イグノーベル賞のような、冗談ユーモア発明には合わないのはないかと思いました。
大体、新聞報道の大腸検査が痛いものという表現も、違っています。
大腸検査は痛いのはなく、どちらかというと苦しい、苦痛というのならわかります。苦痛と痛いのは全く違います。
おしりからチューブを入れるのは、痛くはありません。
座ってチューブを入れるのは、姿勢から少し楽になるはずです。
だから医学検査上、大変真面目で有用な発明といってよい。
新聞記事は痛くもないものを痛いといったり、イグノーベル賞だからわざわざユーモアがらみで表現したり、フェークニュースそのものです。
受賞した先生は栄誉で舞い上がっているのかもしれませんが、どこか医学関係者から異論が出ないのが不思議です。
だいじ経営年金事務所http://daizizimusyo.jp
はじめこの言葉が言われた時、当たり前に悪いから理屈ではない、何を馬鹿なことを言うのかと思いました。
しかし、今になって、この言葉は深い気がして仕方ありません。
というのは、人を殺して、平気で生き延びている、大人が現実にいるということです。
それなのに、自分が人を殺して何が悪いのか。許される人間と許されない人間がいるのはおかしいのではないか。
という意味で発せられた言葉ではないか、という気がしているからです。
こうなると、ただ悪い、当たり前で理屈ではない、というのが逃げの口上に思えてきます。
警察、司法で裁かれる網を潜り抜けて、平然としている奴がいる。
敏感な、頭が良すぎる人間にとっては、やり場のない怒りがこみあげているのでは。
その結果の問いだとしたら、誠に深い、スルーしてはいけない問題で、真剣に大人には対処してもらいたい。
(アーカイブス)
2018/09/30(日)
イグノーベル賞ではないのではないか
日本人医師の大腸検査の新しい方法は、真面目に有用な方法で、イグノーベル賞のような、冗談ユーモア発明には合わないのはないかと思いました。
大体、新聞報道の大腸検査が痛いものという表現も、違っています。
大腸検査は痛いのはなく、どちらかというと苦しい、苦痛というのならわかります。苦痛と痛いのは全く違います。
おしりからチューブを入れるのは、痛くはありません。
座ってチューブを入れるのは、姿勢から少し楽になるはずです。
だから医学検査上、大変真面目で有用な発明といってよい。
新聞記事は痛くもないものを痛いといったり、イグノーベル賞だからわざわざユーモアがらみで表現したり、フェークニュースそのものです。
受賞した先生は栄誉で舞い上がっているのかもしれませんが、どこか医学関係者から異論が出ないのが不思議です。
だいじ経営年金事務所http://daizizimusyo.jp