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昭和考②作家、文壇

 前回の職業観につながりますが、作家の地位が今と天地の違いがあるほど高かった覚えがあります。

 老若男女、すべての人の敬愛される職業として、作家がありました。

 単に文化人としてではなく、全人的、全人格的、あるべき人くらいの地位がありました。

 だから、作家の仲間の文壇という集まりも大いに世間の認知するところでした。

 簡単に言うと、知的人間の先導者、リーダーとして、尊敬の的でした。

 今は、職業の一つくらいの軽い存在の気がします。

 だから、テレビ、新聞でもその発言が今よりはるかに影響力があった気がします。

 知識人であるとともに、タレント、芸能人にも通じる人気職業のようでした。

 当然、芥川賞、直木賞の価値も今より高かった。

 それに比べ、現在の地位はどうでしょうか。

 隔世の感です。

(アーカイブス)
2017/10/01(日)
日野皓正氏の話
 すでに旧聞になります。それまで、いろいろ言われていました。

 事情を知らない、第三者が現象面で、批判するのが多数意見でした。

 画面を見ると、日野氏は普通言われる往復びんたをしていません。

 行きはびんたですが、帰りは手の裏ではなく、手のひらで返しています。

 そこに配慮を見ました。

 発表の場にこぎつける前に、何回も練習をして積み上げてきた上のことを考えてみる必要があります。

 確かに見た目は良くありません。

 ただ、それまでするくらい、頭にきた上で、それでも、単に逆上したわけではないはずです。

 そういうことをテレビコメンテーターで言っている人はいなかったような気がします。

 今テレビに出ている人で、納得する発言をするコメンテーターがいないということは確かです。

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昭和考①職業観

 今週は、昭和の頃の肌で実感した世相、社会観を振り返ってみようと思います。

 ただ、昭和と言っても戦前と戦後では、激動の時代で全く違いますので、私が体験した昭和30年代以降の感想です。

 1回目は、職業観です。

 「末は博士か大臣か」という今では死語になった言葉があるように、立身出世主義が、まだ生きていた時代でした。

 だから、職業に貴賤ありというか、明らかに職業によって人間がランク付けされているのが、今より露骨に如実に出ていた感があります。

 公務員、大企業のサラリーマン、銀行員と言った、今ではあまり人気が高くなくなった職業の位置がかなり高く、あこがれの職業でした。

 安定の時代、言い換えると停滞の時代、横並び、一線の時代、右肩上がりの時代でした。

 中でも今は疑問符が付く会社重役の地位が高かった。

 サラリーマン重役ではなく、オーナー、創業者重役のほうが多かったせいがあるかもしれません。

 しかし、平サラリーマンに比べ、地位の高さとともに給料の高さもかなりのものでした。

 こうしたことがわかるのは、人気の映画の社長シリーズに現れていると私は思っています。

 そのほか、小津安二郎の映画でも、会社重役に優雅な生活が見られます。

 今と大違いです。

(アーカイブス)
2017/10/01(日)
シーザーの顔
 塩野七生著の『ローマ人の物語』全15巻、現在第5巻を読み進めています。

 ちょうど、シーザー、英語読みでないと、ユリウス・カエサルの後編です。

 その表紙がシーザーの顔になっています。

 それまでのシーザーのイメージと違います。

 体格ががっしりした、どちらかというと角形の顔、往年の名優リノ・バンチュラのような顔をイメージしていました。

 しかし、実際は、結構、スリムな感じの渋い優男のような感じです。

 日本の俳優で言うと、山本学(敬称略)のような顔です。

 かなり格好良い男です。

 実力、外見、なかなかしびれるような男前。

 日本の政治家にはまったくいない顔といっていいのではないでしょうか。

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駅前の銅像

 あまり興味がなかったので、話題として知ってはいたものの、あえて見に行きませんでした。

 地元東村山駅前の志村けんの銅像です。

 私は、別に関係者ではないので忖度せずに言いますと、ご本人が生きていて銅像が立ったことがうれしいかということに思いをはせてしまいます。

 きっと、あまりうれしいとは思わないのではないでしょうか。

 「よせやい、ガラじゃないよ」

 という声が聞こえてきそうでなりません。

 銅像設立に関しては、あまり否の声は聴きません。

 私も別に反対まではしていません。

 ただ、志村けんさんが生きていたら喜んでいただろうか。

 その点だけを考えて、感想を持っているだけです。

(アーカイブス)
2017/10/01(日)
運動会の昼食
 昔は、給食はなく、一家そろって、お弁当を広げる光景が全国であったのではないかと思います。

 家のそばの小学校でも、新興住宅地で、ついこの間まで、家族が席取りをし、昼食はその席で子供と一緒に取っていました。

 しかし、この時問題となるのが、家族そろってができない子供です。

 家庭事情があり、そうした子供は、校舎などで先生と一緒に、昼食をとっていたと聞いています。

 今は、そうした事情を考えて、給食付きという運動会もあるはずです。

 ただ、土日開催の要もあるので、給食を取るか、弁当を取るか、どっちが多いのか分かりません。

 言えるのは家族の形態が多様になってきて、今まで見過ごされていた問題が、無視できない事態になっているということです。

 私は家族そろって昼食をとっているときに、これができない子供は寂しいし、つらいのではないかと感じていました。

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震災後の実体験

 東日本大震災では、東京でもかなり揺れ、生活面でも東北の方には申し訳ないものの影響を受けました。

 テレビは、通常番組を流さず、電気も計画停電で、通常生活より不便をこうむりました。

 そして、一番の不便は、物資の不足でした。

 まず、コメが足りなくなり、どこも売ってなくなりました。

 それに伴い、主食類の姿もスーパーで売り切れ、在庫不足が目立つようになりました。

 ある意味、現在の新型コロナ禍よりもはるかに緊急、災害下の状態にあったといえます。

 スーパーでの買い物では、ある意味競争になりました。

 少ない品をいかに調達するか。

 でもそうした状況でも日本人は、お互いを思い、あるだけ買うということはせず、必要な量だけ買うという慎ましい買い物をしていた記憶があります。

 しかし、地元では、C国の人が増えてきて、残った品を買い占めていた光景が未だに頭に残っています。

 棚の奥に残っていた品をC国語で何か言いながら足りない腕の長さを必死に伸ばしていて、それが強烈にイメージに刻まれました。

 国民性の違いを感じました。

 もしかしたらこれを書くのはヘイトかもしれません。

 あえてイニシャルトークにしましたが、ある程度客観的に当たっているのでは、とも思っています。

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2017/09/24(日)
給食の想い出
 給食が不味く、残されているというニュースを聞きました。

 自分自身の給食の想い出はまさにそれです。

 私ははっきり言って、早や生まれで、末っ子の甘えっ子で、食欲不振の虚弱児童でした。

 ですから、給食がおいしいわけがありません。

 特にパンがダメで、いつも食べきれず、机の中に入れて、硬くしてアオカビをはやさせたりしました。

 犬にもあげていました。

 給食の初めの頃は、小学3年生で、その1年間は確か脱脂粉乳でした。

 あれは飲めませんでした。

 牛乳になってからも、給食の牛乳は水っぽく、大嫌いでした。

 別に豊かな時代でもなく、多くの子は食べていたようです。

 しかし、私は単純に不味く感じていました。

 主に自分側の問題だったんだろうなーと今では分析しています。

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張本勲氏の舌禍

 女子五輪ボクシング選手について、おやじ発言をつい言って、袋叩き状態です。

 昭和のおやじの率直な、飲み屋のバカ話か、あるいは、持ち前のサービス精神による毒舌か、というところです。

 張本氏と言えば、現役の頃はON級の超スーパースターの野球選手でした。

 とにかく、並みのスター選手にはないオーラが、ON同様にありました。

 それが引退後いつの間にか、軽いコメンテーターの位置になってしまいました。

 批判している人の多くは、おそらく氏の現役時代の雄姿を知らない人でしょう。

 時は流れ、スーパースターとして、一目も二目も置かれていた存在から、コメンテーターとして生き残るには、ある程度、軽い態度も必要と考えたのでしょう。

 もうそろそろ、第二の職業位置からも、ある程度撤退の時期が来たという内外からの声は、至極妥当な評価かもしれません。

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2017/09/24(日)
裁判に見る依然と強いパターナリズム
 パターナリズムとは父性主義という強い家長制度を背景にした保護者、被保護者関係を重視する伝統的な考え方です。

 二十一世紀の現在、夫婦別姓主義、旧姓使用、男女間の役割分担などに関する争いもこのパターナリズムが根底に根強くあります。

 旧姓使用による争いの判例、離婚裁判のテレビドラマを最近目にし(いずれも女性が原告)、その判決に根強い、パターナリズムを見ました。

 良い悪いは別にして、古くからの伝統を踏まえた、判決でした。

 簡潔に言うと、条件は付けながらも、旧姓使用は不可、離婚は認めずということです。

 改革派というか、進歩派から見ると言語道断な不当判決でしょう。

 パターナリズムを信奉するというか、体に染みついている良識派にとっては、至極妥当、まともな判決といえます。

 古臭い判決といえば言えますが、改めて聞くと、なるほどとも思いました。

 時代は流れ、近未来ドラマの想定を越したような21世紀に入りました。

 しかし、現実は意外にまだ伝統に縛られているのかもしれません。

 実際の判決と、判決を基にしたドラマですから、まだまだパターナリズムは強いという感慨を持ちました。

 感慨というのは、特にそれを悪いと単純には思っていないという感情があるということです。

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戦争報道の間違い

 8月は原爆投下被災日、終戦記念日で、戦争報道が毎年流される季節です。

 戦争反対、庶民がいかに悲惨な目に遭ったかが、毎年、繰り返し繰り返し報道されます。

 ただ、決定的になかったのが、戦争に具体的に参加した軍人への客観的な視点です。

 今年は、ある程度、組織の下の兵の経験談などが、おそらく意図的に報道されているの目にしました。

 戦争報道も少しは進歩しているのかもしれません。

 しかし、あのころ、日本人は上も下も真面目に一生懸命戦争に参加し、戦っていたことは全く報道しません。

 これはある意味、フェイクニュースと言えます。

 真実を覆い隠して、虚偽を報道するという点では、戦後最大のフェイクニュースではないでしょうか。

 今の平和、繁栄があるのは真剣に戦った人がいるからという当たり前の視点が決定的に欠けています。

 そして、これから将来もおそらく欠け続けるのではないでしょうか。

 戦後総決算と言っていた人がいつの間にか言わなくなったのも、おそらく関係しているのでは………

 考えすぎでしょうか。

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2017/09/18(月)
スキャンダルを起こすのはエリートではない?
 はずですが、ニュースをにぎわすのが、エリートスキャンダル。
 
 だから、スキャンダルを起こすのがエリートといったほうが良いのではないでしょうか。

 一般人が不祥事を起こしてもニュースまでに至るのはまれです。

 だからスキャンダルイコールエリートです。

 人間だからミスもするし、過ちも犯す。

 そうすると、エリートでも何でもないではないか、という話に戻る。

 エリートなんていないんじゃないかとも考えつきます。

 多少、目立つくらいの人と考えたほうが合点がいき、納得いきます。

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河村市長

 大変な騒ぎになってしまいました。

 テレビで映像を見ました。

 金メダルを渡されて、かじるまでの動作が早いことに驚きました。

 あれはきっと、金メダルを渡されたら噛んでやろうと以前から思っていたのではないか。

 それくらい素早く噛むまでの動作が早かった。

 彼は、自分が噛んだので価値が上がるくらいに思っていたのではないかと邪推までしてしまいます。

 取材で会ったことがありますが、彼はサービス精神が旺盛なことは確かです。

 地元ではかなり人気が高く、選挙にも強いというのは定評です。

 いわゆる庶民派、そして、結構、中身は頭脳派、やり手です。

 今回はその手法が、一般庶民の常識から離れてしまったことが如実に表れてしまいました。

 まあ、悪い人ではないというのは言えるのではないでしょうか。

(アーカイブス)
2017/09/18(月)
悪口を聞くほうはつらい
 その人のいないときにその人の悪口を聞く場合、非常に嫌な気がします。

 話す人は、正当に言っているつもりでしょう。

 ただ、聞くほうは、自分も陰で悪口を言われているのだとすぐに感じます。

 だから、なるべく悪口は言わないほうが良いでしょう。

 特に、大勢の前では禁句です。

 いい話、悪い話、どちらにしても第三者から、ご当人の耳に入る可能性があります。

 自ら人間関係を悪くし、世間を狭くします。

 しかし、こうした話はごく普通に、どこにでも転がっています。

 ニュース、評論でもつまるところ、こういうたぐいのことでいっぱいです。

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難解、フォークナーの小説

 学生ではなく、若い社会人の頃、世界の名作小説としてフォークナーに挑戦したことがありました。

 難しさ、読みにくさで、途中で放棄してしまいました。

 『8月の光』というタイトルでした。

 タイトルに惹かれ、手に取り、全く読み進めませんでした。

 以来、なかなかフォークナーの小説は、心に引っ掛かりながら敬遠してきました。

 あらためて、このコロナ禍の下、『響きと怒り』という小説にチャレンジし、やっと読了しました。

 やはり複雑、難解、スラスラとは読み進めませんでした。

 しかし、この難解さは、人生そのものとも感じることができました。

 世の中、単純なもの、ことは何一つない。

 どう単純でないのか、どう複雑なのか、その一つを教えてくれる、ずっしりと重たい長編名作小説でした。

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2017/09/18(月)
ホームドラマに見る父親の存在感の無さ
 大体、ホームドラマというドラマ自体がなくなりつつありますが、それはおいておきます。

 昔、テレビにかじりついてみていたホームドラマ。

 ダメおやじものもありましたが、とにかく笑ったのが、頑固おやじもの。

 古い人しかわからないでしょうが、時代劇悪役だった進藤英太郎氏主演の「おやじ太鼓」。

 TBSの木下啓介アワーでした。

 同じTBSでは、俳優でない作曲家の小林亜星氏を起用した「寺内貫太郎一家」。

 ホームドラマの中に頑固おやじものという一大ドラマジャンルがありました。

 今や、死語ならぬ死ドラマです。

 下手をするとおやじ自体が出てきません。

 存在感の無さではなく、存在すらしていません。

 いつのころからか、日本製ドラマも変質し、見る気もなくなり、実際に見ることもなくなりました。

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日本バドミントン不振

 五輪で大いに期待されたバドミントンのメダルが、混合ダブルスの銅一つに終わりました。

 男子単、女子複は金が有力、間違ってもメダルは固いと思われていました。
 
 私も期待して見ていました。

 はっきり言って、自信が過信になってしまったと結果から見て思います。

 想像以上に外国勢が、力を伸ばし、日本勢は不振が目立ちました。

 明らかにイージーミスが多く、ミスを乗り越える粘り強さにもかけていました。

 しかし、これは単に以前の日本バドミントンに戻っただけかもしれません。

 実力がなかっただけかもしれません。

 基本に立ち返り、心身ともに強い選手になることを目指し、立ち直るしかありません。

(アーカイブス)
2017/09/18(月)
弁当、総菜、パン屋に共通する懸念
 総菜屋さんの惣菜によるO157感染で、子供がなくなる悲惨なニュースがありました。

 前からああいう客が自分の手で取る食べ物屋さんの衛生面に疑問がありました。

 昔はガラスケースなどで厳格に客は直接食物にかかわらないよう、ガードされていました。

 普通にあの方式が当然と思います。

 しかし、昔と違い、衛生面で向上したことから、オープンな食物販売が流行ってきました。

 どうも抵抗があります。

 ほかには弁当屋さん、パン屋さん、そして、コンビニのおでんなどもどうも怪しい気がします。

 潔癖とは思っていません。

 食べ物ですから、普通の感覚ではないでしょうか。

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羹に懲りて、名より命

 戦後日本の負け犬根性、平和至上主義が生み出しました。

 平和は何より尊い、平和が一番なことは確かです。

 しかし、憲法9条が平和を維持してくれているわけではありません。

 平和には、常にコスト、緊張の維持、防衛体制の準備が必要です。

 それを題目だけ唱えて、平和が維持できると主張、考えているから、危険です。

 中国、韓国、北朝鮮、軍事、独裁、反日国家が、硬軟あらゆる手を使い、日本を揺さぶってきています。

 ある意味、すでに戦争状態と言ってよいかもしれません。

 平和、平和、憲法維持、と言って、準備を怠ると、相手の思うつぼでしょう。

 将来、日本という国がなくなるかもしれません。

 平和を願うと同時に平和を維持するには何をすべきか、真剣に国民が考えなければ生き残るのは難しいはずです。

(アーカイブス)
2017/09/18(月)
学力と人格
 まったく関係ないといっていいでしょう。

 しかし、学力、試験テストで良い点を取ると、人格高潔を必要とされる仕事につきやすい。

 関係ないのに、学力の高さイコール人格の高さと同一視している社会が悪い。

 当たり前のことが今まで、見過ごされてきたのがおかしい。

 学力プラス人格面でのチェックをもっと当たり前に見ていかないと、エリートの犯罪、不祥事はこれからも続くでしょう。

 ここで問題は、どうやって人格面を見ていくかということです。

 面接では分からないと多くの人が言います。

 面接で分からないまでも、ある程度はつかめるでしょう。

 やらないよりはやったほうが良いに決まっています。

 今までの学力一辺倒、学力イコール人格と同一視するのを改めるべきです。

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